広島工房スタッフ

手塚一志(BOSS)

手塚一志てづかかずし(BOSS)代表取締役パフォーマンス・コーディネーター

手塚一志 プロフィール

1963年、徳島県生まれ。

パフォーマンス・コーディネーター(アスリート技能調整技師)。

池田高校卒業後、大阪体育大、筑波大大学院および東大大学院でスポーツ科学を専攻。87年より、日本ハム、ダイエー、オリックスのプロ野球各球団でコンディショニング・コーチを歴任。

2002〜03年、阪神タイガース打撃部門をサポート。2011年には東北楽天ゴールデンイーグルスでパフォーマンス・コーディネーターを務める。2015年より理化学研究所客員研究員。

著作は計30作品。累計発行部数70万部。

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ジャイロボール・シンクロ打法・うねり打法・クオ・メソッド・「操育」など数々のスポーツ技能熟達法を発見・開発・提唱。野球はもとより、さまざまな競技のアスリートがそのメソッドを取り入れ、日本スポーツ界の成長に貢献。

93年より、メジャーリーガーやプロ選手〜初心者、キッズまで延べ会員数約15,000名のスポーツ技能上達工房「上達屋(東京(三軒茶屋)・江戸川(葛西)・横浜(センター南)・広島(中区上幟町)・静岡(出張指導型) 」を主宰。

サポートアスリート&チーム

広島工房(中区上幟町)スタッフ
すべて委ねる安心感広島工房長
純
上達屋ネーム
純(広島工房長)
本名
内川 純(うちかわ じゅん)
PC歴
2013年7月〜
出身地
埼玉県
誕生年度
1976年度
学歴・野球歴
伊奈学園総合高校→日本体育大学

自己紹介(こちらをクリックすると開きます)

みなさんこんにちは

小学3年生から高校3年までの9年間、プレーヤーとして野球に没頭しました。

大学では野球を離れ、卒業後本場オーストラリアへタッチラグビー留学。日本代表として2002年ワールドカップ出場、世界4位に。その後中学校体育教員として9年間教職に携わり、野球部顧問(=監督)として7年間の野球指導を経験しました。

私の財産は多くの生徒・保護者の皆さまと共に熱い想いをもって真剣勝負をしてきたことです。その中、学んできたことの一つですが、「その人を"認める"ことで、人間関係が形成されること。」上達屋も同じ理念で、お客様の満足のために全力でみなさんをサポートしています。

そこに共感し、この職を今、選びました。私は恵まれています。またたくさんのみなさんと出会えるチャンスをもらいました。 野球に限らず、スポーツを通じて、人生のかけがえのない時間をこの上達屋でともに共有できることを楽しみにしています。

また、上達屋では2013年より「メンタル・コーディネート」も始まっています。中学校教員時代、多くの生徒と関わった経験を生かし、みなさんの悩みに答えていきます。

私は人と関わることで幸せを感じます。私はみなさんの「できた!」をサポートすることに幸せを感じます。そして、目標を達成したときのみなさんの「笑顔」が大好きです。上達屋でぜひ、お待ちしております。


慣兵衛
慣兵衛
上達屋ネーム
慣兵衛(かんべい)
本名
中西 信太郎(なかにし しんたろう)
PC歴
2018年12月〜
出身地
愛知県
誕生年度
1979年度
学歴・野球歴
滝高校

自己紹介(こちらをクリックすると開きます)

みなさんはじめまして!

上達屋の慣兵衛(かんべい)です。

私が上達屋を知ったのは、たまたまある野球選手の記事にあったリンク先に上達屋のHPを見つけた事がきっかけでした。

そこではじめて、コーチでもなくトレーナーでもない「PC(パフォーマンス・コーディネーター)」という職業があることを知りったのです。スポーツ選手の技能向上を”調律師”として手助けする新しい職。小学3年から高校3年まで野球に明け暮れ、高校卒業後も草野球を続け、とにかく野球が大好きで、24時間野球のことを考えていても飽きないほどの夢中状態の私にとって、それは運命的な出会いに感じられました。もしかすると、野球に携わる仕事につけるのはこれが最後のチャンスかもしれない・・・。仕事の休みを利用し、広島工房に研修を受けていくこと決意するのに時間は掛かりませんでした。

研修を受けていてまず驚いたのは「操育プログラム」のその効果。38歳の自分自身のパフォーマンスが劇的に向上したのです。もう成長することはないと思っていた自分にも、まだまだのびしろがあることに気づかされました。

この歳になってなお、できなかったことができるようになっていく過程の喜びや楽しさを改めて実感できました。さらには、先輩PCやBOSSのその仕事の中身の的確さの驚かせます。工房ではじめて体験するパフォーマンス・コーディネートとは、私がこれまで経験したきた指導やコーチングとはまったく異なるアプローチであり内容であり、そして結果でした。

また、変化が現れたのは自分の野球パフォーマンスだけではありませんでした。この「操育」という試みは、野球だけでなくあらゆるスポーツ選手を幸せにそして夢中になっていただくことが可能なサポートでることを理解できたとき、この感動をひとりでも多くの方に味わっていただきたいと、スポーツ愛しているがゆえにそのスポーツのことで悩んでいるすべての人たちのお手伝いをしてあげたい・・と野球という種目の枠を越えてそう想うように変っていったのです。

研修をはじめて10ヶ月後、ついにBOSSから資格認定をいただきました。3人の家族を名古屋に残し、広島の地でこの職に挑みます。みなさまの「魂が揺さぶられる瞬間に出会うため」のお手伝い、どうかこの慣兵衛にお任せください。


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