今、多くの親御さんがお子さんのスポーツについて似た問題に向かい合っています。お子さんの(スポーツへの)やる気が感じられないという問題です。
もしかするとその理由は、親御さん側に”やる気”(モチベーション)が満ち溢れているからかもしれません。
皮肉な話ですが、両親が熱心であればあるほど、そのお子さんは「それほどでもない・・」というパターンに出会います。
その逆で、スポーツに夢中になっている子どもになるほど、そのお父さんやお母さんは以外に「冷めている・・・」ケースがあります。
これはなぜでしょう?
考えられることは、前者は親が子に対し「そのスポーツを一生懸命やって欲しいと願い、できればレギュラーになって活躍してくれて、もしうまくいけば全国大会ななかに出られるようになってくれたら・・・いいなあ〜」と”自分のやってもらいたいスポーツ”で輝く姿を想い描くことが、しらずしらずのうちに言葉や態度ににじみ出て、前述したように、そのスポーツにのめり込んでくれるように仕向けようと「ほらあできたあ。すごいねえ〜」とほめたり、「そうじゃない、最短距離で上から真っ直ぐ・・」と教えたり、「もう少しこうした方がうまくいくぞ」とアドバイスしてしまい、そこからにじみ出るなんともいえないジリジリした子の活動へ親の介入感に、「期待されるのが重い」と感じ始めるのかもしれません。
このケース、最初にスポーツを始めた頃のあの自分のため(あたりまえですが)の楽しみ感・・は徐々に薄れ、子は自主性をそがれいつしか「誰のためのスポーツ?」と疑問を抱き始め、やがて練習やゲームのなかで気の抜けたプレーをしてしまい、それを見に来ていた親に見つかりとがめられ、帰りの車の中ではずーっと説教され続け、いずれこの楽しみが苦痛に摩り替わるようなことが起こらないともかぎりません。
いや、それでスポーツをやめるだけで済めばまだましかも。
残念なことに、それ以上の親子関係の悪化のケースを何度も見てきました。
子どものスポーツは子どものもの。親の最適かつ最大限の援助は重要でも、親の”期待”はときに重圧となることがあるのです。
夢中力の箇所でも述べました。われわれ先に生まれてきた者たちの大切な役目とは、夢を持たせることやそれに向かってガンバラせることではなく、子どもたちにポジティブな連鎖を引き起こす”夢中力”が沸き起こるような出会いを用意してあげること、それこそが親や周辺の大人の役目ではないかと考えます。
まだ、間に合うかもしれません。
→ 上達屋の理念