四死球後の痛打で大量失点・・・140球も投げると肩の張りが酷くなり連投が効かない・・・
「今のままではこのまま終わってしまう。中学時代のように打者を見下ろすピッチングがしたい。」
私が庄司投手から相談を受けたのは、今年の春季大会が終わった直後でした。
私が庄司隼人と出会ったのは5年半前。彼が常葉橘中学に入学した時です。彼が愛読していた『ピッチングの正体』(手塚一志著)が庄司くんと私を引き合わせてくれたのでしょう。
当時の庄司くんにとってチーム内のライバル・川口投手(甲子園ではファーストを守った川口雄佑選手)の存在が大きく、なかなかエースになれませんでした。しかし持ち前の「何苦楚」という反骨心で練習に打ち込み、中学3年時にはエースに成長。
超負けず嫌いの絶対エースを擁したチームは、夏の静岡県大会で優勝。全国中体連1回戦では延長戦で負けはしたものの、中学軟式野球初の144q/hを計測し7回をパーフェクトピッチング。
高校入学後も1年春のデビュー戦で2回5奪三振の快投で注目を集め、春季県大会優勝。秋季大会県3位、東海大会3位。2年時には春季大会県優勝。東海大会優勝。2年連続夏の第一シード。 甲子園に縁はなかったものの順調に実績を積み重ねていきました。
ただ、夏は2年連続3回戦敗退。肝心なところで勝ちきれません。仲間と甲子園に行くためにも、自身がプロに行くためにも、何としてでも勝ちたい夏までは2カ月あまり。
「今のままではこのまま終わる。」私のところに相談に訪れた時の庄司投手は不安と焦りで迷いがピークだったのです。
2人で話し合い、今後の取り組み方を考えていくなかで【クオ・メソッド】を本格的に取り入れることになりました。 庄司投手は過去5年間で【根生り】【乗せ】【搾り潰し】を取り入れ下半身主導の投球モーションを習得しています。そして夏本番前、最後の最後に本物の「骨盤力」を注入していこうという決意です。
骨盤を自由自在に動かすためのドリルをアップと投球前後に取り入れ、動きを確認するという作業の繰り返しです。
ひとつひとつの動きを大切に身体の芯まで「骨盤力」を刷り込んでいきました。